addio

アッディーオ

幻視と蝶々

 

私が中本道代さんの詩に惹かれるのは、二重の世界をしっかりと描いているからだ。文学界では「幻視」と分類されるのだろうか。幻のように立ち現れる世界の断片。いくつもの世界は玉ねぎのように重なっていて、それに気づかない人も、気づく人も、いろいろなかたちで表現できる人もいる。

中本さんは、特に『花と死王』で二重の世界の断片を拾いあげ、詩として描くことをしっかりと身につけた気がする(上から目線に見えたら申し訳ありません…)。だから私は『花と死王』が特に好きだ。鳥や神の視点に近く、拾いあげた世界の断片は詩のかたちを越えてどこまでも遠く広がっていく。

 

そこには一人でしか行けない。でも誰かに指し示してもらわなければならない。

誰かの手をかりて二階堂奥歯を抜け出した私はその場を越えて旅立つ。一人きりで。

行ったっきりになってしまいたいけれど、それは、相手に迷惑がかかる。だから、いつも帰ってくる。

帰ってくる、いつも。

帰ってきたくない。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』)

 

私が二重の世界の存在をしっかりと感じ取れるようになったのは『八本脚の蝶』のおかげだと思う。私が見ている「世界」が奥歯さんと同じだとは限らないけれど。

決定的に異なるのは、「誰」にもその場所を指し示してほしくないことだ。

本ならいい。詩ならいい。絵ならいい。写真ならいい。光ならいい。

でも、「誰か」じゃだめだ。

そして自分を抜け出したくなんかないと思う。たとえそれが正当な方法だとしても。

私は自分として、その場所を見続けたい。行ってしまいたいとは思わない。

 

(そうか、それであなたは行ったっきりになってしまったのですね、奥歯さん。)

 

あなたはいつも願っていた。

傷を与えて。苦痛を与えて。自我を忘却するくらいの苦痛を。

それに反する怯え。

痛いのは嫌。苦しいのは嫌。

マゾヒストの方がわがままだというけれど、本当にそうなのかもしれない。

でもそれは希う力が強いということだ。強すぎて、あなたはいってしまった。手の届かない場所まで。

 

どうかそこがやわらかな繭のなかのような場所でありますように。

光に満ちた場所でありますように。

 

私は手放さず、見続けます。二重の世界を。あるいはもっと遠方を。

 

 

接吻

接吻

 

 

 

中本道代詩集 (現代詩文庫)

中本道代詩集 (現代詩文庫)

 

 

 

花と死王

花と死王

 

 

 

八本脚の蝶

八本脚の蝶